かつて志摩国の国衙があったとされ、万葉集にもその名が残る答志島。中世には九鬼嘉隆の終焉の地ともなりました。また、「一定年齢に達した男子数名を預かり世話をする寝屋子」と呼ばれる制度が、現在まで残っているなど、長い歴史に育まれた文化が息づく島です。島を歩けば、それぞれの歴史を垣間見ることができるでしょう。

1. 八幡神社▲MAP
大漁祈願、海上安全など、漁業の守り神が祀られています。旧1月17~19日には八幡祭りが行われ、豊漁を祈願する弓引神事が行われます。丸に八の字の神紋を神棚や戸板、船などに書く風習が、今でも残っています。
鳥居の前には、柿本人麻呂がこの島を題材に詠んだ句「
2. 美多羅志 神社▲MAP
創立年代は不祥ですが、享保4年の棟札や延享3年献品の獅子一対、古文書などが保存されています。主祭神は美多羅志神で、明治41年に天王社、山神社、天神社ほか10社ほどを合祀して、美多羅志神社となりました。
3. 岩屋山古墳▲MAP
和具漁港が一望できる岩屋山の頂上にある直径22m、高さ2.5mの円墳です。
市内に数多くある古墳の中でも、石組みの原形を残す数少ない古墳の1つです。ほぼ完全な形で残っている石室は、南南東に開口しており、奥行きは8.7mで、そのうち、棺を収める玄室は、奥行き5.3m、幅2.3mの大きさがあります。
4. 九鬼嘉隆 首塚・胴塚▲MAP
鳥羽城主で、水軍の将として信長・秀吉のもとで活躍した九鬼嘉隆は、関ヶ原の戦いで石田三成に味方しましたが、敗れて、慶長6年、59歳で答志島において自刃しました。
その後、首は首塚に、胴は埋葬され、首は首実検の後、鳥羽城が見晴らせる高台に葬られたため、現在は、それぞれ胴塚、首塚と呼ばれています。
5. かおり風景100選『塩ワカメづくり』ポイント▲MAP
2月〜4月頃になると、数十基の塩ワカメづくりの釜が並び、港に潮のかおりがたちこめます。環境省による「かおり風景100選」に選定されています。